よくカラコンで「フチあり」とか「フチなし」とか言いますが、これって結構曖昧ですよね。
どういったものをフチなしというのか人によって基準が違うと思います。
くっきりとしたフチがあれば当然それはフチありでしょうけど、カラコンの中にはフチの部分がぼんやりとした着色(拡大で見るとドット模様)になっているものがあります。
そのぼんやりフチのカラコンをフチなしと呼ぶのかどうか難しいですね。
あとはフチにも外周部分と内周部分がありますが、内周部分はぼんやりとした着色だけど外周部分はくっきりとした着色というカラコンもあります。

カラコンの通販サイトでも検索条件でフチの有無を選択できる場合があるのですが、実際に見てみると「これってフチなしなの?」と思うことがあります。

自分の場合には◎みたいな内周も外周もくっきりフチが「フチあり」であとは「フチなし」かなぁーと思うことが多いです。
世の中の人たちはこういうのをどうやって区分けしているのでしょうかね?
フチがナチュラルならフチなしと呼んでいるのでしょうか。

ところで、フチなしのカラコンについて書かれているサイトがあるので紹介します。
サイトはこちら>>http://xn--68jub0m6a8d3fxf7c.biz/
サイト名:おすすめのフチなしカラコン

文字だけのこの記事と違って(笑)具体的なカラコンの画像付きでカラコンのフチについて書かれているのでわかりやすいですよ。
参考サイトではナチュラル感があるかどうかで区分けしていますね。
学校でバレないカラコンとか、リアルハーフっぽく見えるカラコンとか、いろいろ紹介されています。

顔のシミに悩んでいる人の中には、手軽に使える市販の化粧品でシミを薄くしたり消したりできればなぁと思っている人がいるはずです。
自分も以前に顔のシミが気になっていたときに、レーザー治療などは抵抗があったので、病院に行かなくてもドラッグストアとかで買えるシミ用クリームについて調べてみたことがありました。

その結果、そういった気軽に買えるシミ用クリームがあることはわかったのですが、一番気になる「本当にこれでシミが薄くなるのかどうか」というのは結局はっきりしませんでした。
購入して実際に使った人の意見に目を通してみても、人によって商品の評価に差があり過ぎてどれを信じればいいのかよくわからないという状態でした。
それで結局はレーザー治療もせず、シミ用クリームも試していません。
自分の場合には目立つ大きなシミではなく、加齢によると思われる小さなシミだったので結局そのまま放置です。
最初にシミに気付いた時は結構ショックだったのですがいつのまにか慣れてしまいました(笑)。
でも小さなシミでも最初はショックなものでした。
「あれ、なんか顔に汚れがついてる・・・いやっ、違う、シミだ!」という感じで。

シミを放置していることについて、シミに見慣れたというのは一つの理由としてあるのですが、市販のシミ用クリームも一応副作用とかそういったことを気にして使わないといけないものもあると知り、それでシミ用クリームの使用を躊躇したということも大きいです。
一番怖かったのが白斑です。
肌のもとの色が抜けてしまうような現象で、市販のシミ用クリームでも起こることがあるらしいです。
シミ用クリームにはハイドロキノンという成分が含まれていることが多いのですが、このハイドロキノンが白斑などを含めた副作用に特に注意しないといけない成分です。
海外だと日本以上に濃度などの使用制限が厳しい国もあるそうです。

ハイドロキノンが入っていないシミ用クリームというのも発見したのですが、それはそれで今度は「付けてみて何の変化もなしだったらお金と時間がもったいないなぁー」という考えがよぎってしまい、結局購入には至らず・・・

市販のシミ用クリームに興味がある人は下記サイトでいろいろ紹介されていますので目を通してみてください。
【サイトURL】http://xn--t8j4aa4n6jiiv30tv1cpw8j.com/
(できてしまったシミ 化粧品)

 打水をした庭の縁を二人三人の足音がして、白地の筒袖の浴衣を着た菊五郎が書生流に歩いて来ると、そのあとに楚々とした夏姿の二人。あっさりと水色の手柄――そうした感じの、細っそりとした女は細君の屋寿子で、その後は、切髪の、黄昏の色にまがう軽羅を着て佇んだ、白粉気のない寂しげな女。
「ほんとに姉さんつまらないや、そんなことをしたって」
 主人はそういって、今までのつづきであったらしい会話のきりをつけた。
 切髪の女は、なよやかに、しかも悩ましいほほえみを洩した。すなおな、黒々とした髪を、なだらかな、なまめかしい風もなく髻を堅く結んで切下げにしていた。年頃は三十を半ばほどとは考えさせるが、つくろわねど、この美貌ゆえ若くも見えるのかも知れない。といって、その実は老させて見せているかも知れない。ほんのりと、庭の燈籠と、室内にもわざと遠くにばかり灯させたのが、憎い風情であった。

 帯は高く結んでお出でしたが、どんな色合であったか覚えておりません。忘れたのか、それともその時は、ずっと襖の側に並んで座っていましたから、其処から見えなかったのかも知れません。召物は白い上布であらい絣がありました。
 その方がその当時、一葉女史を退けては花圃女史と並び、薄氷女史より名高く認められていた、楠緒女史とは思いもよりませんでした。自分たちと同じほどの年頃のお方かと思っていましたが、女史は二十一か二の頃でありましたろう。お連合の博士は海外へ留学なさってお出のころでした。
 四年ばかりたちました。春三月に竹柏会の大会が、はじめて日本橋倶楽部で催されたおりにはっきりと楠緒女史はあの方だと思ってお目にかかりました。もうその頃はずっと地味づくりになって、意気なおつくりで黒ちりめんの五ツ紋のお羽織を着てお出でした。女のお子のおありのこともその時に知りました。

そこで水の底で助けて帰されたことを、薬売りが咄しますと、主人も驚いたには違いありませんが、その御主人の言葉に「毎年秋祭りの前後に、はげしい山おろしが吹荒れると、中妻のおばあさんが来たということを、里の者は何の訳か言いつたえている。春の祭りがすむころ吹くと、おばあさんが帰ったという。」ときいて、薬売りがぞっとしたのは、水の底にいたおばあさんが「私はこんなに遠くにいても、家のことや村のことは守っている。」と言ったのを覚えていたからなのでした。なんでもこの咄しはさほど古いことではないのでしょう、私はその村で、そのお家と近しくしている方からききました。そのお家の子供衆方の咄しでは、おばあさんの来るという日の夜に限って、山から狐が沢山に下りて、そのお宅の縁側は、土でざらざらになるのと、きっとその日は雨風で暴るということです。