打水をした庭の縁を二人三人の足音がして、白地の筒袖の浴衣を着た菊五郎が書生流に歩いて来ると、そのあとに楚々とした夏姿の二人。あっさりと水色の手柄――そうした感じの、細っそりとした女は細君の屋寿子で、その後は、切髪の、黄昏の色にまがう軽羅を着て佇んだ、白粉気のない寂しげな女。
「ほんとに姉さんつまらないや、そんなことをしたって」
 主人はそういって、今までのつづきであったらしい会話のきりをつけた。
 切髪の女は、なよやかに、しかも悩ましいほほえみを洩した。すなおな、黒々とした髪を、なだらかな、なまめかしい風もなく髻を堅く結んで切下げにしていた。年頃は三十を半ばほどとは考えさせるが、つくろわねど、この美貌ゆえ若くも見えるのかも知れない。といって、その実は老させて見せているかも知れない。ほんのりと、庭の燈籠と、室内にもわざと遠くにばかり灯させたのが、憎い風情であった。

 帯は高く結んでお出でしたが、どんな色合であったか覚えておりません。忘れたのか、それともその時は、ずっと襖の側に並んで座っていましたから、其処から見えなかったのかも知れません。召物は白い上布であらい絣がありました。
 その方がその当時、一葉女史を退けては花圃女史と並び、薄氷女史より名高く認められていた、楠緒女史とは思いもよりませんでした。自分たちと同じほどの年頃のお方かと思っていましたが、女史は二十一か二の頃でありましたろう。お連合の博士は海外へ留学なさってお出のころでした。
 四年ばかりたちました。春三月に竹柏会の大会が、はじめて日本橋倶楽部で催されたおりにはっきりと楠緒女史はあの方だと思ってお目にかかりました。もうその頃はずっと地味づくりになって、意気なおつくりで黒ちりめんの五ツ紋のお羽織を着てお出でした。女のお子のおありのこともその時に知りました。

そこで水の底で助けて帰されたことを、薬売りが咄しますと、主人も驚いたには違いありませんが、その御主人の言葉に「毎年秋祭りの前後に、はげしい山おろしが吹荒れると、中妻のおばあさんが来たということを、里の者は何の訳か言いつたえている。春の祭りがすむころ吹くと、おばあさんが帰ったという。」ときいて、薬売りがぞっとしたのは、水の底にいたおばあさんが「私はこんなに遠くにいても、家のことや村のことは守っている。」と言ったのを覚えていたからなのでした。なんでもこの咄しはさほど古いことではないのでしょう、私はその村で、そのお家と近しくしている方からききました。そのお家の子供衆方の咄しでは、おばあさんの来るという日の夜に限って、山から狐が沢山に下りて、そのお宅の縁側は、土でざらざらになるのと、きっとその日は雨風で暴るということです。